高島藩主廟所を国史跡に 諏訪、茅野市教委

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諏訪、茅野両市の教育委員会は、高島藩の歴代藩主の墓所がある高島藩主廟所を国史跡に指定するよう文化庁に申請した。初代藩主の墓は茅野市、2~8代は諏訪市にある。両市教委によると、江戸時代は大名の配置換えが多い中、時代を通じて諏訪を治めていた高島藩主の墓がまとまって存在することが貴重だとしている。墓の規模の大きさや保存状態の良さも特長という。

初代藩主の諏訪頼水(1570~1641年)の墓所があるのは茅野市上原の頼岳寺。境内の「諏訪氏頼岳寺御廟所」は3室に分かれており、向かって左が頼水の墓、中央は頼水の父頼忠、右は頼忠夫人の墓。

頼水の墓はこの時代の特徴で家形をした石廟、高さ約3メートルの石造一重塔が安置されている。中には石碑があり五輪塔や「空 風 火 水 地」などの文字が刻まれている。頼忠と頼忠夫人の墓には、共に五輪塔と宝きょう印塔が安置されている。

2代忠恒(1595~1657年)から菩提寺は諏訪市湯の脇の温泉寺になり、八代忠恕(1800~51年)までの墓がある「高島藩主廟所」は同寺の上にある。広さは1280平方メートル余。上段には「御霊屋」に納められた忠恒を中央に高さ約3メートルの墓計7基が並んでいる。中段には藩主の妻や子どもの墓、116基の石灯籠が立つ。藩主の墓標はそれぞれ高さ約3メートルで、見栄えがある。

諏訪家は江戸時代を通じて領地替えがなく代々諏訪を治めたため2代以降の墓所は分散することなく葬られた。諏訪市教委によると、国史跡に指定されているのは大大名や大名の墓が多いといい、「小藩として墓がまとまっていた例として価値があると考えている」としている。

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