戦争の記憶次世代へ 赤穂高校平和ゼミ

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登戸研究所に動員された人から体験談を聞き取る赤穂高校平和ゼミナールのメンバー=駒ケ根市中沢のデイサービス施設

終戦から15日で75年。当時を知る人たちの高齢化が進み、戦争の記憶を次世代に継承する機会が失われつつある。そんな中、駒ケ根市の赤穂高校平和ゼミナールが新たなメンバーで活動を始めた。市内のお年寄りへの聞き取り調査を進め、戦争体験を記録に残そうとしている。

平和ゼミは今年3月、メンバーの男子生徒2人の卒業に伴い、活動がいったん途絶えた。だが、定時制の生徒が、市内で開催中の戦争企画展を通じて地元と戦争との関わりに興味を持ち、6月に再始動させた。

7月30日、セミの鳴き声がよく響いた駒ケ根市中沢。平和ゼミのメンバーはデイサービス施設を訪れ、数人の利用者の話に耳を傾けた。戦時中、旧日本陸軍の秘密機関「登戸研究所」に関わった人たちだ。

戦争末期に川崎市から伊那谷などに疎開した登戸研究所は、細菌兵器や毒ガスなどの研究・開発を担っていたとされる。終戦直後に資材や書類が処分されたため当時の資料はほとんど残っておらず、今も謎が多い。平和ゼミはその実態究明を活動の一つの柱としている。

戦争末期に登戸研究所の施設となった旧中沢国民学校の校舎。現在は駒ケ根市民俗資料館として使われている

竹村志づ子さん(88)は1945年、中沢国民学校(現在の駒ケ根市中沢小学校)に設置された登戸研究所の施設に動員された。焼夷(しょうい)弾や手りゅう弾に火薬を詰める作業に従事したという。当時は中学生。友人と共に楽しむはずだった修学旅行も登山もなくなった。「軍隊の生活を押し付けられて、子どもながらに悲しかった」と振り返る。

フィリピンのセブ島で戦死した兄についても語った。わが子が妻のおなかにいる時に戦地に送り出され、遺骨となって自宅に戻ったという。「人の命は何にも代えられない。そういう思いを若い人に持ってもらいたい」。メンバーは言葉の重みにのみこまれ、メモを取るペンがしばし止まっていた。

新型コロナウイルスの感染拡大防止が広く呼び掛けられる昨今。施設での長時間の聞き取りが難しくなるなど平和ゼミの活動も制約を受けざるを得ない。それでも、戦争を知る世代は消えゆく記憶を残そうと、限られた時間の中で若者に当時の状況を熱心に語る。その光景は、平和への思いを込めたバトンを託すかのようだ。

「痛ましい話がたくさん出てくるから心にずっしりとくる」。以前、戦争に対する関心がさほどなかったというメンバー。聞き取り調査を通じて見方が変わり、遠い過去ではなく、現代に直結する出来事として捉えるようになった。

平和ゼミは今後、聞き取った証言をまとめ、資料として後世に残す考えだ。メンバーはこう決意を示す。「私たちに話をしてくれた以上、次の世代に戦争の悲惨さを伝えていかなきゃいけない」

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