2020年8月16日付

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絵そのものは黙して語らない。けれどもその絵からは多くの言葉が伝わってくる-。戦没した画学生の絵を集めた異色の美術館「無言館」の名前にはそんな意味が込められているという。館主の窪島誠一郎さんが著書に書き留めている▼遠く浅間山を望み、眼下には田園風景が広がる上田市郊外の山王山、その頂にひっそりと「無言館」は建つ。十字架の形に見える建物は欧州の教会のようだとも言われる。重々しい木の扉を押すと、床、壁と一面コンクリート張りの館内に展示した作品が見渡せる▼自分の足音が気になるほど静かな空間で、志半ばにして戦火に散った学生たちの作品を前にすると、文字通り言葉を失う。語ることのない絵の前で来館者も黙って立ちすくみ、何も言わず静かに帰って行く-。「無言館」と名付けた、もう一つの理由であるという▼飯田市出身の市瀬文夫さんは東京美術学校を首席で卒業後教員になり、終戦前年の2月、ニューギニアで戦死した。29歳だった。近所の女性をモデルにした遺作「黒衣の婦人」は絵の具の使い方、線の描き方に実力の高さを感じる一点だと、窪島さんの解説にある▼夢や希望をかなえられずに逝った若者らをしのび、一枚の絵が発するメッセージに耳を傾ける。〈口をつぐめ、眸をあけよ 見えぬものを見、きこえぬ声をきくために〉。窪島さんの言葉である。戦後75年。声なき語り部たちを思う。

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