2020年8月20日付

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4年前、旅先の北海道稚内市でふらっと入ったスナックに牧野幸子さんはいた。当時次女の律子さんが経営する店を手伝い、次々においしい小料理を出してくれた▼現在90歳の幸子さんは樺太(サハリン)に生まれた。終戦の1945(昭和20)年、樺太に侵攻した旧ソ連(ロシア)兵士の攻撃を逃れ、北部から浜伝いに島の南端まで来た後、家族と廃船同様の小舟に乗り北海道を目指す。当時日本は本土への帰還船を出したが、定員超過で乗船できなかったからだ▼小舟には穴があり、幸子さんは舟底にたまる水を夜通し必死でくみ出した。家族から「くむのをやめると舟が沈む」と言われた。目的の北海道猿払村までもう少しの沖合いで天候が悪化し、舟が岩にぶつかって大破。海に投げ出されたところを村の人に助けられた。生き延びた▼戦中は学徒動員で毎日働いた。兵士が履く靴の材料にする皮を確保するために野ネズミをわなで捕り、皮をはいで校舎の壁に広げ乾かした。その肉は塩漬けにして皮を軍服に使うキツネの餌にした▼幸子さんは当時の模様を穏やかに語った。そこに、幾度の苦難を越えた体験者でなければ得られない円熟の域に達した人の姿をみた。「人は黙っていても一度は死ぬのだから戦争はしなくていい」の言葉が印象に残る。当欄を書こうと久々に掛けた電話の声は明るかった。いつまでも後輩へご教示ください。お元気で。

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