2020年8月21日付

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新聞記者は名刺1枚で誰にでも会える職業と言われる。その通りだが、中国や香港政府を批判して逮捕された民主活動家周庭さんや香港紙「リンゴ日報」の創業者黎智英さんを見ていて、自由と民主主義の象徴として「会うことを許されている職業」だと強く感じる▼岡谷市加茂町の故増澤昭子さんは生前、同市から旧満州(中国東北部)に渡った岡谷郷開拓団の取材に生涯をささげ、2007年の著書「生と死の狭間を生きて~凍原の星となった子ら」(文芸社)にまとめた。新聞記者の来訪を喜び、いつも「あなたは私の子供よ」と語っていた▼増澤さんは1927年生まれ。18歳で岡谷郷開拓団に参加し、教師として小学生23人を教えたが、飢餓状態の生活で体調を崩し、45年5月に一時帰国する▼同年8月のソ連軍侵攻と敗戦から始まった開拓団の逃避行は壮絶を極めた。ソ連軍に連れ去られる女性たち、泣き叫ぶ赤子の命を絶つ看護師、負傷で歩けなくなり自決する男性…。教え子たちは伝染病で全員亡くなったという。増澤さんは生き残った自分を責めた▼長男の清さん(66)によると、増澤さんは2人の兄の戦死に直面して自らの宿命を悟り、「言葉は消えても文字は残る」と随筆家になった。3年前に91歳で亡くなった増澤さん。「子供」と呼ばれた新聞記者にその経験と平和への願いが息づいている。名刺がずしりと重くなった気がした。

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