明治31年の赤痢流行 伊藤さん宅に記録残る

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明治31年の赤痢流行について祖父が書いた記録を見る伊藤さん

茅野市玉川穴山の伊藤博夫さん(89)宅に、1898(明治31)年に市内などで流行した赤痢に関する記録が残っていたことが分かった。漢方医で患者を担当した祖父の業治朗さん(1841~1915年)が流行地域や患者数、隔離場所などを帳面に明記。隔離場所には地元の寺も使われており、伊藤さんは「当時も感染症に苦労しながら、なくすために力を合わせたのではないか」と推測している。

伊藤さんによると、業治朗さんが伊藤家の系譜などをつづった帳面に赤痢についても触れられていた。

記録によると、1898年7月29日ごろから市内で流行。泉野村は「壱等(一等)流行地」となり、中道、槻木、小屋場で184人の患者が確認され、36人が亡くなった。二等流行地の玉川村は患者103人のうち21人が死亡。金沢村は患者111人のうち38人死亡、原村は42人のうち11人が亡くなった-とある。

玉川村では穴山の長円寺のほか、山田、中沢、粟沢でも寺や観音堂に「隔離室」を設置したと記述。流行から約2カ月後の9月26日に隔離患者がいなくなり、28日に閉鎖した-としている。

伊藤さんによると、業治朗さんはこの流行で三男を16歳で亡くしながらも患者に対応した。患者の遺体を山で焼いたとの話も地元の人から伝え聞いたという。「隔離にお寺を使うなど当時も大変だったと思う」。新型コロナウイルスの収束は見通せないが、「人々が力を合わせる中で赤痢は2カ月で収まったのではないか。今回もお互いを思いやる気持ちで乗り越えたい」と話している。

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