蓼科日記の複製完成 小津監督ら日常つづる

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複製が完成した「蓼科日記」を見る山内代表理事(左)ら=茅野市の「新・雲呼荘 野田高梧記念蓼科シナリオ研究所」

日本映画界の巨匠、小津安二郎監督(1903~63年)や脚本家の野田高梧(1893~1968年)らが、茅野市蓼科高原での日々や映画人、住民との交流をつづったノート「蓼科日記」(全18巻)の複製が完成し、19日に披露された。経年劣化した原本を汚れも含め忠実に再現。半世紀以上前に蓼科でシナリオを練った当時の様子を垣間見ることができる。

A5判の蓼科日記は蓼科にあった野田の山荘「雲呼荘」に置かれ、来訪者が自由に書き込んだ。小津監督が初めて蓼科を訪れた54年8月から始まり、野田が亡くなる68年9月まで続いた。俳優の佐田啓二、笠智衆ら約70人が記入した。野田の死後、雲呼荘は取り壊され、妻の静が近くの山荘で日記を保管。同山荘を改修して2016年に開館した「新・雲呼荘 野田高梧記念蓼科シナリオ研究所」が日記を継承した。

古文書の復元に取り組む富士ゼロックス京都(京都市)が同所の依頼を受け、19年2月から複製作業を開始。原本をデジタルデータ化し、編集、製本した。黒白の濃淡を出し、鉛筆書きの文字が読みやすくなったという。

新・雲呼荘で開かれた完成式には、複製作業を支えた市民サポーターら約15人が出席。同所理事で脚本家の渡辺千明さんは「小津さんは日記に『夜 仕事大いにすゝむ』と書いてある。シナリオ作りの一端が垣間見られる」とし、映画史に残る貴重な資料だと紹介した。

日記に書かれた文章は小津監督や野田が目を通すことから「みんな面白いことを書こうとしている」と同所の山内美智子代表理事(65)。「複製が完成してうれしい。貴重な資料を多くの人に手に取って見てほしい」と話した。

同所で自由に読むことができる。開館は10月下旬ごろまでの予定で原則火、水曜休館。開館日はホームページで確認してほしいとしている。

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