「万治の石仏」名付け親 30年ぶり下諏訪に

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万治の石仏の前で思い出を語り合う矢ヶ崎孫次さんとやよいさん

下諏訪町の諏訪大社下社春宮の程近くにあり、町の観光名所として定着した「万治の石仏」の名付け親である矢ヶ崎孫次さん(86)=東京都杉並区=が15日、同町を訪れ、約30年ぶりに見る石仏を前に思い出を語った。

万治の石仏は1970年代まで名前が存在せず、地元では「あみだ様」などと呼ばれていたという。御柱祭を目当てに下諏訪を訪れた芸術家・岡本太郎さんを、当時、同町内で矢ヶ崎製菓を営んでいた矢ヶ崎さんが案内し、石仏を紹介したという。

その際、「名前がないのは忍びない」と考えた矢ヶ崎さんが、遊び心で命名。名前は石仏に「万治三年十一月一日」の年号が刻まれていたことに由来する。

その後、商標登録を趣味としていた矢ヶ崎さんは、石仏を全国に知ってもらいたいと78年に「万治の石仏」を商標登録。廃業後の2008年には商標権を下諏訪商工会議所に無償で移譲した。

石仏は、全国紙に掲載された石仏に関する岡本太郎さんのコラムなどをきっかけに全国区となり、同時に万治の石仏という名も広く知られるようになった。今では全国各地から多くの人が訪れる観光名所となり、新型コロナウイルス感染症が社会問題となった今年は、「万治」石仏としても注目を集めている。

矢ヶ崎さんは「何の工夫もなく付けた名前だが、今になってみれば良い名前だったと思う」とし、「当時は畑の中にぽつんとあった石仏だが、周辺がきれいに整備され、こんなにもたくさんの人が訪れるようになって驚いている。これからも多くの人に愛される石仏であってほしい」と目を細めた。

同行した長女の矢ヶ崎やよいさん(61)=同=は「父が万治の石仏と命名したことを知らない人が多い。町の歴史として後世に残してほしい」と話していた。

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