経塚の成り立ちに触れる ふじ塚古墳で説明会

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大量の礫石経が発掘されたふじ塚古墳の現地説明会

県埋蔵文化財センター(長野市)は10月31日、下諏訪町東山田で発掘調査を行っている「ふじ塚遺跡」内の「ふじ塚古墳」で現地説明会を開いた。当初、古墳として調査を開始したものの、石に経が書かれた大量の「礫石経」が発掘されたことで「経塚」だったことが明らかになった古墳。説明会は午前と午後の2回行い、地域住民ら約40人が参加。経塚の成り立ちが分かる貴重な発見を通し、知られざる地元の歴史に触れた。

調査は国道20号下諏訪岡谷バイパス工事に伴い同センターが実施。ふじ塚遺跡は、眼下に諏訪湖を望む砥川右岸の南向きの段丘上(標高約825~835メートル)に位置。過去に、町道拡幅に伴い町教育委員会が一部で発掘調査を行った際は遺構や遺物は発見されなかったという。

今回の調査は9月から始まり、約3000平方メートルの範囲で実施した。ふじ塚古墳は遺跡の南東側に位置。享保18(1733)年に高島藩5代藩主・諏訪忠林が領内の各村に命じて描かせた「諏訪藩一村限村絵図」に「藤塚と申す処」と記されていることから、江戸時代から地元では塚であることが知られていたと推察されるという。

経塚は、経典などを土中に埋納した塚で、後世に経典を伝えることなどを目的に平安時代から始まったとされる。当初は小型の経筒を用いていたが、近世に衰退し、代わりに扁平な小石(礫石)に経典の文字を書写した礫石経を用いた塚が流行したという。

古墳調査として開始したが、表土と表土下位の黒土を除去していくと、礫と礫の間から、手のひらほどの礫石経がまとまって見つかり、礫石経を埋納した 礫石経塚とみられることが分かったという。

県内において中近世の経塚の発見事例は極めて少なく、礫石経が数千個にもおよぶとみられることから、同センター主任調査研究員の河西克造さん(59)は「どのように礫石経を埋納したかが分かり、経塚信仰の概要に迫る貴重な発見」と話している。

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