冬の風物詩野沢菜洗い 諏訪市湯の脇の千貫溝

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野沢菜を洗いながら顔なじみの近隣住民(左)と語らう濱さん夫婦。三角形の形をした「千貫溝」の奥に延びる道路はかつて水路だったとみられる

諏訪市湯の脇にある湧水場で、明治時代以前には泥舟の港として活用されていた「千貫溝」。その後、地域住民の生活用水の共同利用の場となったが、現在はそうした利用者も減りつつある。そんな「千貫溝」で2日、近くに住む濱庄一さん(77)夫妻が毎冬の恒例となっている野沢菜洗いを行った。通り掛かった顔なじみの地域住民と語らいながら笑顔で取り組んでいた。

千貫溝には古くから豊富な湧水が流れ込んでおり、かつては地域住民が飲み水としたり、農産物などを洗ったりしていた。周囲が都市化する以前は多くの住民が畑で採れた農作物を運び込み、野菜を洗いながら語らう近隣住民同士のコミュニケーションの場になっていた。濱さんによると「ここでひと仕事終えた後、みんなで集まって茶と漬物を味わい休憩するのが日課だったなあ。あの頃はここもにぎやかだった」と懐かしんだ。

濱さんは同所を管理する千貫溝組合の役員でもあり、同所の歴史も調べた。近くに立つ看板の説明文も書いた。看板に掲載した1860年ごろとされる古地図には、千貫溝と諏訪湖や高島城を結ぶ水路が描かれている。濱さんによると、当時は一帯は水田で、収穫したコメを千貫溝で泥舟に乗せ、運搬していた港でもあった。その取扱量などから「千貫溝」と名付けられたという説が有力だ。

生活用水として利用する人は上水道の整備などによって減少傾向にあるが、濱さんは「利用者が少なくても使えるように定期的に掃除し、私たちだけでも利用し続けることで、この場を長い歴史とともに残していきたい」と話した。

温度がほぼ一定の地中から湧き出ている水のため、寒い季節には温かさを感じる千貫溝の水。菜洗い中、偶然通り掛かった顔なじみの近隣住民から声を掛けられた濱さん夫婦。3人で昔話に花を咲かせていた。

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