諏訪舞台に幕末描く作品に意欲 大久保さん

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塩原彦七の自戦記の現代語訳を通じて、これまでの彦七に関する調査では見られなかった新たな一面の発見に興味を抱く大久保智弘さん(左)と、自戦記を発見し、大久保さんに訳を依頼した塩原晴彦さん

幕末の高島藩士、藩用人で水戸藩浪士「天狗党」と高島・松本両藩連合軍との戦「和田嶺合戦」の際に軍師を務めた塩原彦七の直筆の自戦記が子孫の塩原晴彦さん(73)=諏訪市=宅で見つかったことを受け、漢文の同自戦記を現代語訳した茅野市出身の歴史小説家、大久保智弘さん(73)=東京都=が彦七を主人公にした作品の執筆に意欲を示している。大久保さんは「自戦記を通じて彦七の人柄の新たな一面を知ることになった」とし、「諏訪地方の視点で幕末の諏訪と日本を描く」と現段階の構想を明かした。

大久保さんは、諏訪清陵高校を経て立教大学に進み、卒業後は都立高校で国語教師を務めながら小説を手掛け、1994年に「わが胸は蒼茫たり」(刊行時は『水の砦―福島正則最後の闘い』に改題)で講談社、朝日放送主催の第5回時代小説大賞を受賞。文壇デビューを果たした。これまでに御庭番宰領シリーズ、「木霊風説」「火の砦」など著書多数。長野日報で2003年から、木曽義仲を軸とし、諏訪下社大祝・金刺盛澄など義仲の精鋭部隊の軌跡を描いた歴史小説「モレヤ」を連載した。

自戦記の現代語訳は、高校時代からの友人である塩原さんから依頼を受けて行った。大久保さんによると、自戦記は漢文だが、正しく読み解くには、幕末の頃の用法を考慮しないと、真意がくみ取れないことがあり「古典的な読み方を基にしつつも、自戦記が書かれた幕末の用法で補いながら読み解いた」という。

そこから見えてきたのは、和田嶺合戦で軍師を務めた彦七でさえも恐怖心の中で戦地にいた人間らしさ、風貌、武士として生きる意識と誇りの高さ、彦七が残した蔵書や蔵書目録などからこれまで感じていた「広範な教養を持つ文人」というイメージとは異なる「鍛錬を重ねる武人」としての一面など。塩原晴彦さんによく似た記述もあり「この部分は晴彦そっくりじゃないか」と親近感を覚えたのも新鮮な感覚だったという。以前から彦七に着目していた大久保さんは、自戦記を訳す以前からすでに多くの関連資料を読み解いている。

大久保さんはこれまで江戸時代を描いた作品が多く、長野県に関連した作品は「モレヤ」のほか、戦国大名の武田信玄の父、武田信虎を高遠を舞台に描いた「武田修羅伝―帰って来た信虎」を発表しているが、諏訪地方ゆかりの人物を主人公とし、諏訪を舞台にして描いた作品はこれまでにない。大久保さんは「彦七は最後の武士道精神の体現者といっていい。人間的に大変魅力的でこの人を書きたいという思いが日増しに強くなっている」と熱っぽく語った。

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塩原彦七(1815~1889)

高島藩士、藩用人。塩原家は初代高島藩主諏訪頼水に仕えて以来、代々主君のそばで雑用を処理し、金銭の出納を担う用人や奉行を務めた。彦七は山中家に生まれ後に養子となって塩原家を継いだ。和田嶺合戦では、藩主諏訪忠誠(1821~1898)が幕府の要職「老中」を務めていたことから、水戸藩浪士「天狗党」に対する幕府の追討令への対応を協議する際、藩内に非戦論、中立論がある中で主戦論を展開した。天狗党の迎撃に決した後、軍師として戦場に赴いて懸命に戦ったが、敵の槍によって大けがし、左手が使えなくなった。隠居後は地元の教育者として活躍した。

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