2016年08月29日付

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こどものころ、祖母から聞いた満州(現中国東北部)の話は、なぜか大人になっても忘れないでいる。満州へ行かないかという誘いに色気を見せる祖父を、押しとどめるのが大変だったという。顔をしかめながら話した祖母の姿を思い出す▼体験者の話を直接聞いたのは20代になってから。「読書」と書いて「よみかき」と読む。この地名を冠した南木曽町の開拓団員だった。約850人が満州へ渡り、敗戦後の逃避行や収容所生活などで460人が亡くなった。加藤きよゑさん(故人)は7歳の長女を連れた壮絶な体験を語ってくれた。さらに驚いたのは引き揚げ後、少しずつ書き留めたという手記。400字詰め原稿用紙で500枚を超えた▼絶望の果てに泣きじゃくる赤ん坊を絞め殺す母親、旧ソ連兵らに暴行される女性、病で倒れる仲間など生き地獄が克明につづられていた。本にまとめる際、存命中の関係者を傷つけてしまうのではないかと悩んでいた姿に、事実を伝えていく難しさも感じた▼南木曽町の役場職員だった藤原宗三さんは、戦後半世紀をすぎて開拓団員の手記集を2回にわたり自費出版した。「死に残った者の務め」として手記を残した加藤さんの思いを「風化する前に残さねば」との強い使命感で受け継いだ▼戦後71年の夏も各地で、あの戦争を伝えていく催しがあった。戦争を繰り返さないためのバトンがつながったにちがいない。

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