2021年3月25日付

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短編の名作「セメント樽の中の手紙」や「淫売婦」を書いた小説家の葉山嘉樹は、1934(昭和9)年に伊那谷へ移り住み、当時の三信鉄道(JR飯田線)の工事に携わりながら執筆活動を続けた▼小学生の長男長女と共に天竜川水系へ釣りに行く様子を描いた「氷雨」は、37(同12)年に雑誌「改造」へ発表した。釣りに出掛ける前、長女が「お母さん。もうお米がないのね」という。葉山は「その為の打開策を、もう三年以上も考えあぐんでいたのだった」とつづる▼川では30センチに近い赤魚(ウグイ)を苦労して釣り上げた末、魚籠入れに失敗する。何匹か釣り上げた後、釣り糸を引っかけて切る。憔悴した葉山は、親子心中をする人の心理になっている自分に気付き、心を改めて帰宅する▼37年は日中戦争の発端とされる日本軍と中国軍の衝突「盧溝橋事件」があり、小説の仕事が減った時期。労働現場を題材に作品を書いていた葉山も貧乏だったとみられる。「氷雨」では帰宅後、妻が用意した食事を子どもだけが食べる。最後は「明日はどうなるであろう」と締める。葉山の全集(筑摩書房)には、この後、赤魚を持って知人を訪ね、カネを借りたとも書いてある。そして、これを機に作風が変わる。84年前の話だ▼昔はよく釣れた赤魚も今は野鳥カワウの餌食にされ数を減らす。水ぬるむ3月、天竜川の釣り人を眺め、そんなことが頭をよぎる。

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