富士見の樋口さん 2年ぶりに被災地に花の種

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花の種を贈った保育園などからお礼状が届き、活動への思いを新たにする樋口さん。南三陸町の被災者からもらった帽子を大切にしている

富士見町富士見の樋口誠さん(83)は、卒業シーズンに合わせ、今年も富士見町や原村、そして東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の小中学校や保育園、幼稚園の子どもたちにマリーゴールドとサルビアの花の種を計3000袋贈った。昨年は新型コロナウイルス感染症拡大を受け、種の発送を全て中止に。今年、再開したところ、被災地の学校や自治体、保育園などからもお礼の手紙が届き始めた。大震災から10年。花を通して子どもたちを勇気づけたい―。活動の継続に思いを強くしている。

樋口さんは1977年、自身の会社の創立10年を記念し、富士見町の子どもたちに花の種を贈る取り組みを始めた。原点には幼い頃に体験した戦争の悲惨な記憶がある。終戦時、満州に渡っていた樋口さん一家は1年余り日本に戻ることができなかった。その間、飢えや伝染病で多くの幼子が亡くなっていった光景が心に深く残る。子どもたちに命を大切にし、花の種に負けない大きな花を心に咲かせてほしい―と願い、活動してきた。15年ほど前からは原村の子どもにも贈っている。

東日本大震災が起こり、戦争体験と重なった。被災者は突然、家族を失い、いまだに遺体が見つからない人もいる。原村が始めた南三陸町の住民を村に招待する「短期リフレッシュ事業」に関わる機会があり、以来、子どもに種を贈る活動を同町に広げた。

同村原小学校の被災地支援を伝える本紙記事がきっかけで、児童74人、教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校(2018年3月閉校)とも縁ができ、同校や閉校後の児童の転校先にも花の種を贈った。津波で娘を失った母親とも交流ができ、今年もヒマワリの種を贈るという。
 
「被害は年月とお金をかければ復興するが、家族を失った心の悲しみは一生忘れることはできない」と樋口さん。「100パーセントは無理でも、個々が被災者に寄り添っていく気持ちが大事」と、今後も花の種を通したつながりを大切にしていく決意だ。

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