2021年5月5日付

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新緑の渓流は笹濁りの雪代(ゆきしろ)で水かさを増し、岩陰に隠れていたイワナが餌を求めて動き出す頃だろう。少年時代は田植えが終わって水がぬるむと、飯沼川に通ってアマゴを追いかけた。1980年代の山村風景である▼魚のつかみ取りのことを、八ケ岳山麓では「さぐり」と言う。筆者が育った伊那谷最北端の集落では「うろづかみ」と呼んでいた。縄文以来、山と川だけの信州である。魚を捕まえることは命の営みだった。語源は定かではないが、《さぐり》は人間の狩猟本能を的確に表現しており、空洞を指す「うろ」に魚がいることを伝える《うろづかみ》も言い得て妙である▼南信日日新聞(現長野日報)で編集局長を務め、著書「諏訪の方言」(78年)に七千語に及ぶ諏訪言葉を記録した岩波泰明は、方言を「古き時代の文化、生活の片りんをくみ取れる貴重な言葉」と解説し、「言葉を大切にしない民族の文化は必ず滅びる」と警鐘を鳴らした▼「うろ」に差し入れた指の先に触れたアマゴが、手の中で逃げようと躍る感触を覚えている。あれほど夢中で追い求めたアマゴだったが、テレビゲームの登場とともに見向きもしなくなった▼今の子どもは《うろづかみ》を知っているだろうか。川で遊ぶ子どもの姿が消えると同時に、一つの言葉が忘れられる。方言を大切に残していくことが、信州の多様な生き方と気質を受け継ぐことだと思いたい。

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