武田信玄と上社の関係紹介 神長官守矢史料館

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「守矢文書」を展示し、武田信玄と諏訪上社との関係を紹介している企画展

武田信玄(出家前は晴信)と諏訪上社(諏訪大社上社)は互いに好意的な関係にありながら、それぞれ相手の力を利用し合っていたとみられることが、茅野市神長官守矢史料館で開催中の企画展で紹介されている。

戦国時代の混乱で上社の祭礼は衰退するも、力を付けた神職「神長官」(神長)が信玄と結び上社を復興。信玄も軍神として知られる上社を庇護しつつ信濃の状況をうかがっていたようである。

企画展は「武田信玄の古文書―武田信玄生誕500年」。神長を務めた守矢家(同市)の史料16点を展示し、書状(手紙)などのやりとりから上社と信玄との関係を考察している。

晴信親子が出陣した1回目の川中島の合戦。神長に宛てた晴信の書状では、この合戦が「当家の存続を掛けた戦いである」と掲げた上で、晴信は神長に、主要神職挙げて武田方が合戦に勝てるよう祈とうするよう求めている。

3回目の川中島の合戦の関連文書と見られる晴信の書状には、上社の祭礼を担う御頭役を近年怠っている御頭郷が多いと指摘。

御頭役は「信濃一国で平等に行う役」とし、晴信と敵対する北信地方の領主を武田方に従属させたときには、(上社の)願いの通り御頭役を勤めるよう強く催促する―としている。

こうした書状は信玄が上社に強い思いを寄せ、上社も信玄の後ろ立てなくしては祭礼が成り立たなかったことをうかがわせる。同館学芸員の柳川英司さん(52)は、信玄と上社は「持ちつ持たれつの関係だった」とみる。

「上社は信玄と手を組み、祭礼を復興したいと考え、一方で信玄は祭礼の当番役などが握る地域情報を上社を通して得ようとしていたのではないか」とも。

他の史料には、神職が神事などでの席順をめぐって対立。神長が首座か否かの裁定は朝廷に持ち込まれるが、信玄がこの裁定に関与し、神長を有利に導いたとする経緯も記している。信玄は神職の中でも神長との関係の近さを物語っている。

企画展は7月4日まで。午前9時~午後4時30分。月曜休館。入館料大人100円、高校生70円、小中学生50円。問い合わせは同史料館(電話0266・73・7567)へ。

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