2021年6月15日付

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20世紀の幕が開けた1901(明治34)年6月15日、長野日報の源流となる「諏訪新報」は下諏訪町で発刊した。創業者は同町友の町の小口貫一、長地村(現同町)東山田の三澤慶重の2人。当時27歳の青年だった▼本紙はきょう創刊120周年。紙齢は3万9634号に達した。読者各位のご支援とご協力に感謝するとともに、郷土紙の真の使命を再確認し、不断の努力でその好意に報いたい▼題字の左上、紙齢の右に、第三種郵便物の認可日がある。ほとんどの新聞は認可日と創刊日に大差はないが、長野日報は昭和21年2月19日。不思議に思われた方もいるのではないか▼本紙は戦時下の「一県一紙」という言論統制により、昭和17年4月に一度休刊している。戦後「南信」の旗印の下に役職員が集い、復刊したのは昭和20年11月3日だった。休刊前の紙齢を継いだ。第三種郵便物の認可日は、八ケ岳と諏訪湖から発する天竜川の流域に立脚し、読者とともに再出発を果たした記念日でもある▼復刊(戦後)10年の社説は国民主権の重要性を指摘し、「新聞は読者が作る。読者の全部が社会の木鐸であって欲しい」と訴えた。今、通信技術が発達して誰もが情報の発信者となったが、より良い方向に社会を導く力になっているだろうか。「新聞の歴史は社会の変遷の歴史」。新聞と読者の紐帯を信じ、大先輩の言葉を胸に郷土を見詰めていきたいと思う。

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