富士見町出身・報道写真家の樋口さんが自伝

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富士見町松目出身の報道写真家、樋口健二さん(84)=東京都国分寺市=が、写真家としての歩みをまとめた自伝「慟哭(どうこく)の日本戦後史 ある報道写真家の60年」をこぶし書房(東京)から出版した。樋口さんは、四日市公害や原発被ばく労働、東京電力福島第1原発事故といった社会的な問題を取材し、繁栄の裏側で虐げられている人々を撮り続けてきた。「写真家人生は厳しいものだったが、幸せであった」と話している。

樋口さんは日中戦争が始まった1937年生まれ。6歳の時に母を赤痢で亡くし、直後に親切だった親戚の長正さんを戦争で失った。高校卒業後、農業を継いでレタス栽培を始めたが赤字に失望する。のり問屋への出稼ぎを機に一家で離村し、東京で下宿や工場勤めを始めた。

24歳の時、デパートで見たロバート・キャパの写真に魂が震え、写真家になることを決意。写真専門学校を64年に卒業し、しばらくしてフリーの写真家になる。初仕事の四日市公害ではテレビや雑誌、新聞のような一過性の取材ではなく、アルバイトをしながら時間をかけて被害者に寄り添い、問題の本質に迫った。

日本のエネルギー産業構造に疑問を抱いた樋口さんの足は原発労働者へと向かう。77年、定期点検中の敦賀原発1号機炉心部で働く労働者を初めて撮影し、人海戦術で動く原発の実態と下請け労働者の過酷な日々を日本社会に突きつけた。写真集「原発」は原発推進最盛期の79年に発表され、大きな反響を呼ぶ。

経済発展を遂げ、豊かさを享受する日本社会の闇を題材にするため、自らを「売れない写真家」と語る。樋口さんの仕事は2011年3月11日の福島第1原発事故後、国内外で注目を集め、今春にはその生き方に迫る記録映画「闇に消されてなるものか 写真家・樋口健二の世界」(永田浩三監督)が上映された。6月からはNPO法人アジア太平洋資料センター連続講座の講師も務めている。

樋口さんは取材に「戦後日本は経済成長のために弱い人を犠牲にしてもいいという差別構造に見て見ぬふりをしてきた。豊かさの裏側で弱者が消されていった日本の戦後史を知ってほしい」と話している。

書籍は230ページ。少年時代と写真との出合い、四日市公害や原発被ばく労働、戦時中に極秘製造された毒ガス島、全国各地の自然破壊と公害、福島原発事故の取材で出会った人々、感じたことをつづった。当時の写真も掲載されている。2200円(税別)。

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