第一人者追い掛けて フェンシング・西藤選手

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2007年12月に太田雄貴選手(右)とイベントで対戦した当時小学3年の西藤俊哉選手(西藤選手の父繁さん提供)(時事)

「東京に行かせてくれないと一生、父さんを恨む」。フェンシング男子フルーレ団体戦に挑んだ西藤俊哉選手(24)。日本の第一人者に魅了され、アカデミー行きを訴える中学生の息子の涙と言葉に、父は力強さを感じた。

5歳の時「百獣戦隊ガオレンジャー」を見て、父繁さん(52)がコーチを務める箕輪町の地元クラブで競技を始めた。繁さんは「全てに全力投球の不器用な子だった」と語る。学校の先生に怒られまいと、毎朝5時起きで宿題をこなした。

団体戦でチームを組んだ同年代の敷根崇裕(23)、松山恭助(24)両選手らとは小学生時代からのライバル。繁さんは「当時も今も背中を負う立場」と話す。努力以外にないとフットワークを徹底的に強化した。

中学2年で巡ってきた日本オリンピック委員会(JOC)エリートアカデミー入りの機会。「勝てない環境に行くんだよ」「はい上がるしかないよ」。繁さんはあえて不安をあおる言葉を並べた。決断の日、「強くなれるか、結果が出るか分からないけど、どうしても挑戦したい」と泣きながら直訴する息子に覚悟を感じ、背中を押した。

西藤選手は2007年12月に撮った1枚の写真を東京に携えた。そこには、翌年の北京五輪で銀メダルを獲得する太田雄貴選手と、ほっぺを赤くした小学3年の自分が写っている。イベントで対戦した時のオーラ、プレッシャー、スピード、力強さ…。全てが衝撃だった。目標が生まれた日の写真は今も宝物だ。

「天才肌でもないし、華麗な技もない」と自身を評する西藤選手。父と培ったフットワークを武器に泥臭く戦った。(時事)

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