元映画プロデューサー・山内静夫さん死去

LINEで送る
Pocket

元映画プロデューサーで茅野市で開かれる小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の実行委員会最高顧問を務めていた山内静夫(やまのうち・しずお)さんが15日、老衰のため神奈川県内の自宅で死去した。96歳。同県出身。葬儀は親族で済ませた。喪主は妻愛子(あいこ)さん。

小説家里見★【弓に享】の四男。1948年に慶応大卒業後、松竹に入社。小津安二郎監督の「早春」(56年)から「秋刀魚(さんま)の味」(62年)まで晩年の6作品のプロデューサーを務めた。退社後は鎌倉文学館館長や鎌倉市芸術文化振興財団理事長などを歴任した。

山内さんは今年第24回を迎える小津安二郎記念・蓼科高原映画祭に第2回以降、何度もゲスト出演して小津作品にまつわる思い出を語った。最後に出演したのは2年前。俳優倍賞千恵子さんと一緒にトークを繰り広げるなど晩年まで映画祭に関わった。映画関係者との橋渡しとして出演者の招へいにも尽力。映画祭発展に寄与したとして2017年の第20回では実行委から感謝状が贈られた。

映画祭に携わる人からは追悼の声が聞かれた。実行委企画室長の北原享さん(63)=茅野市=は20年来の親交があり、山内さんから麦わら帽子を譲ってもらった仲。6月に神奈川県内の自宅に見舞ったのが最後になったという。「小津組最後のプロデューサーとして大切な方。映画祭を大事にしてくれて山内先生の声掛けでゲストも来てくれた。非常に知識があって勉強させてもらったし、優しい方だった」としのんだ。

■「蓼科日記抄」発起人代表として刊行

2013年には山内さんが発起人代表となり、脚本家野田高梧の山荘「雲呼(うんこ)荘」にあった日記帳「蓼科日記」(全18巻)から、小津監督や映画史に関わる記録をまとめた「蓼科日記抄」が刊行された。小津生誕110年の記念事業で、小津の蓼科暮らしを裏付ける文献を残した。

第2回映画祭に初めて山内さんを招き、蓼科日記抄編さんに携わった北原克彦さん(73)=原村=は「山内さんは世界の映画人が認める仕事をした小津組プロデューサー。偉ぶらないで人を集めるのが好きな方でした。山内さんの存在が映画祭の発展と継続につながった」とする。

その上で「山内さんは『蓼科の小津先生に対する愛はすごい』と感動し、蓼科の映画祭を毎年とても楽しみにしてくれていた。小津監督と小津映画をつないでいってほしいと話していた。蓼科が小津映画の聖地であり続けてほしいと、きっと今も願っていると思う」と思いをはせた。

おすすめ情報

PAGE TOP