2021年8月21日付

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お盆を過ぎれば途端に暑さが和らぎ、朝夕の空気に秋の気配を感じる。映画監督の小津安二郎が初めて蓼科高原を訪れた時季はまさに今、1954(昭和29)年8月18日だった。シナリオを共同執筆する脚本家野田高梧の山荘「雲呼荘」に滞在した▼山荘に置かれていた日記「蓼科日記」には、小津が記した来訪時の第一印象が残されている。《夕食ののち いささか雨気、雲低く寝待月出でゝ遠望模糊、まことに佳境、連日の俗腸を洗ふ》。自分を映画監督と知る人は少なく、鎌倉や軽井沢のように構える必要もない。小津は蓼科の自然と素朴な人情を生涯愛し、脚本執筆の場とする▼往時の蓼科を知る、かけがえのない映画人が亡くなった。山内静夫さん。96歳。駆け出しのプロデューサーとして蓼科に通い、「早春」(56年)から「秋刀魚の味」(62年)まで6本の小津作品を手掛けた。茅野市で98年から続く小津安二郎記念・蓼科高原映画祭の最高顧問も務めていた▼2017年の第20回映画祭で感謝状を受けた山内さん。「映画と蓼科の縁が深いことを心に刻み、小津安二郎記念の映画祭であることを忘れないで」と呼び掛けていた▼「新しいものとは、変わらないもの、古くならないもの―。小津先生のこの言葉の意味が、全世界の映画界に問われている」。映画を愛するということはどういうことか、山内さんのこの言葉を忘れずにいたいと思う。

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