2021年9月20日付

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「無事に着いたら電話をちょうだい。たったひと言でいいから、お願い」。腕をつかんだ青白い指に力を込めて女性は何度も念を押す。わずか数日前に会ったばかりの筆者を案じる▼70代半ばのその人は肺の病で酸素吸入が手放せない。横たわって休むのも難しく、洗顔、歯磨きをするのにも気合いが要る。肩で荒い息をつきながら、それでもいつも背筋を伸ばして後ろ姿が美しい。和服の着付け師範、ショーパブの経営者として腕を振るったかつての話を聞き、そのりりしい居ずまいと気概に合点がいった▼当時は乳飲み子を抱えてパブで働く外国人女性や家庭事情が難しい少年少女など十数人もの身元を引き受けて大所帯で暮らしたそうだ。寝ずに働き貯めたお金を後年、親類にだまし取られて生活困窮に陥った―とも明かす。エルビスプレスリーの曲が流れると目を輝かせて少女に戻った▼彼女は言う。「あたしの名前は『恵み与える』っていう意味なの。文無しになった今、贈れる物はないけれど、電話越しに幸運をあげたいの」。40年前もそうであったろう人柄に触れた。人はいくつになっても気持ちは変わらない▼誰もが長い年月、平坦ではない道を歩み、語り尽くせぬ経験を積み上げて今に在る。年を取るにつれて出来ないことが増え、不安が募る日もあるかもしれない。でも、これまで懸命に生きてきた自分を誇ってほしいと願う敬老の日。

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