劇薬爆破の跡地を調査 登戸研究所調査研究会

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登戸研究所関連施設の跡地を調査する会員ら

太平洋戦争末期に上伊那地方などに疎開した旧日本陸軍秘密機関・登戸研究所について調査研究する地元住民グループ「登戸研究所調査研究会」は27日、爆薬関係資材の研究、製造を行う施設があった駒ケ根市東伊那で現地調査を行った。会員ら約20人が劇薬を爆破させたとみられる跡地を見て回り、地元に残る戦争遺構への理解を深めた。

同研究所は神奈川県にあり、毒物など秘密戦に特化した兵器や資材の研究開発を担っていたとされる。戦争末期に多くの施設が、東伊那小学校の前身など上伊那地方の学校や寺院に疎開してきた。

現地調査前に、東伊那公民館の春日由紀夫館長が、公民館倉庫で10月に見つかった同研究所関連文書を示した。東伊那小前身校の利用料や工事関連費などを、同研究所が支払っていたことが公式文書に残されていたという。

調査では、当時のことを知る80歳代の住民ら数人の案内で、東伊那小学校の周辺など複数箇所を見て回った。自宅に研究所幹部が滞在していたという湯沢梅次郎さんは、その暮らしぶりなどを紹介。所有地の一角を案内し、薬品などの貯蔵庫として使ったとみられる壕の跡地などを説明した。建設されたものの終戦により稼働しなかった工場の跡地では「周りを囲って、工場が見えないようにしていた」と記憶をたどった。

終戦後に劇薬が爆破されたとみられる跡地を訪れた会員らは、すり鉢状の大きな穴が現在も開いているのを確認。当時、小学生だった渋谷光弘さん(85)は数百メートル離れた場所で見学していたといい、「爆風の衝撃はかなりのものだった」。市村義一さん(87)は「(幼心に)米軍に見つかると困るから、処分したんだろうなと思った」と振り返った。

同会が上伊那で続けてきた現地調査は、東伊那での調査でおおむね完了。「平和のためにも、登戸の歴史を後世につないでいきたい」(同会事務局)としている。

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