「諏訪写真展」静かに幕 コロナ禍で再開断念

LINEで送る
Pocket

過去の大賞作品を見つめる宮阪会長

1987年に始まりアマチュア写真家の登竜門の一つとされ、県内外から1000点を超す作品が寄せられていた「諏訪写真展」の終了が決まった。新型コロナウイルスの感染防止対策のため2年連続で中止に追い込まれ、いまだ終息が見通せない中、再開を断念。多くの愛好家に惜しまれつつ、同展の歴史が静かに幕を下ろした。

同展は、諏訪地方でそれぞれに活動していた写真グループ10団体ほどが諏訪地方の写真文化の向上を願い、大規模な写真展を開いて愛好家同士で撮影技術と感性を高め合おうと始まった。各団体が加盟する諏訪写真連盟が発足し、同展の主催団体となった。二科会写真部県支部役員などを務めていた宮阪克人さん(81)=諏訪市豊田=が会長に就き、自らが経営する写真店に事務局を置いて、30年以上にわたって中心的な役割を果たしてきた。

初回、約550点の応募から始まった同展は、入賞、入選を含めた表彰対象の多さや入賞作品の長野日報への紙面掲載などが話題を呼び、応募点数は回を追うごとに増えた。関東、中京、関西など県外からも作品が集まるようになり、一時は約1500点の応募があった。

年末に受賞作を発表し、年明けに展示会と表彰式を開くのが恒例で、式当日には100人を超える人が展示会場に集まり、撮影時の様子や被写体との向き合い方などについてにこやかに語らう姿が見られた。

1~16回の審査を務めたのは、二科会写真部創立会員の一人で写真家の秋山庄太郎さん(1920~2003年)。出品作の審査を受けるため毎回上京した宮阪さんは、秋山さんから「地方でこれほど立派なコンテストを行っているところはない。内容も素晴らしい」と褒められた思い出を回想し、「本当にうれしい言葉だった」と懐かしんだ。17回以降は写真家の斎藤康一さんが審査した。

諏訪写真展にとって出品者、入賞・入選者が集まり、語らう機会は同展の大事な意義だったが、コロナ禍で人を集められず、2年連続で中止を余儀なくされた。再開も考えたが、「冷静に振り返る中で所期の目的をある程度達成できた」とピリオドを打つことを決めた宮阪さん。「コロナさえなければという思いはある。ただ、33回の歴史を重ね、諏訪地方の写真文化の向上に一定の役割を果たせたのではないかとも思う。愛好家の皆さんにはこれまで培った技術を生かして、他のコンテストで存分に力を発揮してほしい」と願っていた。

おすすめ情報

PAGE TOP