2021年12月6日付

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茅野市湯川の柳澤徳一さんが米寿を記念して自分史をまとめた。先月末の本紙に記事が載っていた。取材した茅野総局の武井葉子記者から本を取り寄せ、さっそく読ませていただく▼徳一さん。茅野市蓼科高原を晩年の仕事場にした小津安二郎監督と交流のあった数少ない人物である。父徳郎さんが蓼科にあった片倉製糸の山荘を小津監督に世話した縁で、家族ぐるみの付き合いをした。片倉山荘は後に小津安二郎記念館「無藝荘」として一般公開され、初代火代番(案内人)を徳一さんが務めた▼火代とはいろりのこと。小津監督は炉縁を食台代わりに酒を飲み、映画の構想を練り、客人をもてなした。茅野総局赴任時代の無藝荘通いが懐かしい。まきの炎とはぜる音に誘われていろり端に座ると、徳一さんの語りが始まる。文化人との交友録がぽんぽん飛び出し、その証言には驚くほどの蓄積と膨らみがあった▼徳一さんの本「柳澤徳一の手紙」(カフェ天香文庫)には小津監督をはじめ、文化人との交流や地元の親しい人たちに送った手紙がまとめられている。非売品。100冊発行したが足りなくなったため、急いで増刷中という▼青年期に蓼科のホテル親湯に勤めながら、大学教授や芸術家、医師らの薫陶を受けた徳一さん。血の通った格調高い文章を読んでいると、「大学に学問があるのではなく、学問する場所こそが大学である」とつくづく思う。

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