老松場古墳群発掘調査報告会 米田教授が講演

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老松場古墳群の発掘調査の成果を報告する米田文孝関西大学文学部教授

第23回伊那市歴史シンポジウム「老松場古墳群発掘調査報告会」は26日、市防災コミュニティセンターで開いた。市教育委員会が関西大学文学部考古学研究室に委託して行った発掘調査の成果を、同研究室の米田文孝教授が講演。同市東春近にある老松場古墳群の歴史的な評価と、古墳時代の伊那の他地域との関わりを考察した。

同研究室は第3次調査(2019年度)までの段階で前方後円墳だと確認されていた1号墳について、21年度の第4次調査で埋設施設の構造などを調べた。その構造から5世紀前半の築造の可能性が高まったとした。講演で米田教授は前方部墳端の斜めの形状について説明し、地形の影響があるとしながらも、「下から見たときに長く見せるために斜めに造ったと私は見ている」とした。

伊那谷への前方後円墳の出現は、畿内政権の影響を道路とも関連付けて考察し、「道とともに伊那は大和政権にとって重要な地域となった」と説明した。県内の主要古墳の編年表を示し、西暦600年ごろを境に前方後円墳がなくなるとし、「ちょうど飛鳥時代に突入する頃で、新しい時代が地域の古墳造営にも影響を与えた」と述べた。

講演では古墳時代の伊那と大和政権の関係を、金井東裏遺跡(群馬県渋川市)で発掘されたよろいを着けた人骨と関連させて考察した。同遺跡から出土した1500年前の成人男性の人骨が、歯の分析により伊那谷出身者の可能性があるとし、高い技術を持った伊那の有力者が大和政権の命で牧草地がある群馬に 移動していたとすれば、その理由には「馬匹の生産と移動できる道の存在がある」と推測した。

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