2022年4月9日付

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江戸開幕から420年、諏訪の伝説として生きた医者の家系が絶えてしまった。「カッパと立木さま」として知られた諏訪市の立木家である▼昔、上川のほとり赤沼の村はずれにある底なし沼にカッパが住んでいた。馬や牛、時に人を引きずり込んでは村人を困らせていたという。そこに登場したのが高島藩の殿様の家来だった立木さま。カッパをこらしめ、いたずらを許してやる代わりに骨接ぎの方法を教わった。後に医者として活躍し、立木の名前は”骨接ぎ”という意味で語り伝えられた▼立木家は徳川家康の六男松平忠輝に仕え、初代立木与左衛門は1601(慶長6)年に高島藩主となった初代諏訪頼水に従って諏訪に移った。諏訪に流された忠輝の従者の骨折を治療して片羽町の土地を賜り、骨接ぎの治療院を開いた▼駆け出しのころ、当主だった立木正純先生の執筆原稿を片羽町の立木医院に取りに行く仕事がたびたびあった。話し好きの先生は患者を待たせてでも、諏訪の文化や歴史、スポーツを語り続けた。穏やかで温かく、薄暗い診察室は時間がゆっくり流れていた▼立木医院は3月に取り壊されて更地になった。立木家とともに藩主諏訪家の墓所を守ってきた史跡御廟保存会の土橋由彦会長(82)は「立木家が諏訪に残した功績を伝えたい」と話す。諏訪家に忠誠を尽くした立木さま。赤沼のカッパよ。隠れていないで語り継いでくれ。

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