広がる交流





歴史ある土地柄に新たな風 〜宮下創平さん(元衆院議員)

【宮下創平さん】1979年、衆院議員に初当選。8期24年の間に防衛長官、環境庁長官、厚生大臣として入閣。 03年に引退。77歳。
 週末は地元の伊那市、平日は東京で社団法人理事長の業務や自民党一年生議員への勉強会講師役などに追われ、引退してからも忙しい日々が続く。

 「権兵衛トンネルは元伊那市長だった三沢功博さんが熱心に推し進めていた記憶がある。当初は伊那側よりも木曽側に力が入っていた。地形的な閉塞(へいそく)感もあり意気込みは強かった」。初当選した1979年の衆院選にも「権兵衛トンネル早期着工」は公約に入れていた。

 かつて、選挙応援で駆けつけた故安倍晋太郎幹事長とともに車に乗り合わせ、有賀峠などのつづら折の峠道を越えるたびに、「こういう峠にはトンネルがほしいね」という言葉がたびたび口をついて出たという。「信州は山国だから道路整備には必ずトンネルもかかわってくる。県全体としては主要な道路整備がまだまだ遅れている。緊縮財政とはいえ、生活基盤となる道路整備、トンネルなどの公共投資はこれからも必要」と訴える。

 生まれ育った長谷村も山に囲まれ、南北に長い木曽と似かよった土地柄。長谷村から伊那中(現伊那北高校)へ通うとき、40kmほどの道のりを、しばしば自転車を利用した。「長谷村も、高遠町に白山トンネルが89年に開通してから一気に伊那市との時間的な距離が縮まった。権兵衛のミニチュア版ともいえるかな。トンネルの持つ波及効果は大きいよ」と、しみじみ語る。

 権兵衛トンネルについての陳情のピークは91〜92年。地元から大蔵省や建設省への陳情には、できる限り同席した。元伊那市長の原久夫さんや元木曽福島町長の中村英之さんは、代議士の大蔵省OBとしての影響力に舌を巻いた。選挙区を超え、木曽側にも後援会ができるほどだった。

 「地元が将来、こうなりたいと夢を抱く着想が何よりも大切。いい着想があれば代議士もサポートしやすく、代議士も大きく育てられる。地元の将来構想、夢を表舞台に上げるのが代議士の重要な仕事」と言い切る。

 「木曽へ木曽へとつけだす米は伊那や高遠の涙米―と、江戸の昔から伊那節にも歌われるように、伊那と木曽はもともと歴史のある土地柄。権兵衛トンネルの開通で人の交流が生まれ、新たな時代の風が吹く」と大きな期待を寄せている。

「悲願」の項おわり