「仕事は面白かったし、仕事を通して自己表現できた。でも、本当の自分を考えたとき、絵を描くことに全エネルギーを使いたくなった」。上野憲一さん(五一)は九八年七月、大手企業の人材開発部長から画家に転身。アトリエのある山梨県小淵沢町と川崎市の自宅を行き来しながら、既に個展を五、六回開いた
三十代までは、典型的な”企業戦士”だった。人事を担当し、帰宅はいつも午前零時すぎ。それでも、休日にはテニスやスケッチを楽しんでいた。
そんな趣味の一つでしかなかった絵の世界にのめり込むきっかけとなったのは四十歳の時、小淵沢に小さな山小屋を建てたこと。もともと自然が好きだった。そこで見た情景に感動し、それからは休日ごとに通って自然の中を歩き回り、絵を描く。
退社を考え始めたのは、五十歳を迎える二、三年前。好きな言葉は「人生二度なし」。不完全燃焼のまま後悔したくなかった。
安定収入が無くなることには、不安もあった。妻の真理さん(四八)は「『このまま定年までいてくれれば…』の思いもあった。でも、一緒に住んでいれば本気と分かる。二、三年よく話し合ったので、割と自然に納得できた」と振り返る。「うちは何回かスッカラカンになりました。歯の治療代を値切ったこともあります」と真理さんは笑う。
「組織に属することはいい面もある。大きな舞台に立てるし、会社には育ててもらったという感謝の気持ちでいっぱい。でも、最後には個と会社との関係に戻る。それが早いか遅いかだけ」と、穏やかな口調で話す上野さんだ。
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