輪島市で医療支援 中央病院齋藤医師に聞く

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輪島市での医療支援について語る齋藤穣医師

能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の医療支援のため、4日から11日までの8日間、現地で活動した諏訪中央病院(茅野市)の齋藤穣医師(44)が13日までに長野日報社の取材に応じた。主に同市の避難所の一つ輪島中学校で医療支援に当たった齋藤医師は発災時の避難所では、情報共有と指揮命令系統の確立、衛生環境を保つ大切さを強く感じたという。

諏訪中央病院は難民や災害被災者への緊急救援や復興支援に取り組むNPO法人AMDA(アムダ、岡山市)と大規模災害時の連携協力協定を結んでいる。齋藤医師はAMDAから要請を受けた同病院の被災地医療支援の派遣職員3人のうちの1人。4日午前8時前に茅野市を出発し、午後5時ごろ、物資の支援要請を受けた同県七尾市の恵寿総合病院に食料品や飲料水、食器類などを届けた後、同日午後8時ごろに輪島市に入った。七尾市から輪島市までは通常だと1時間もかからないというが、この日は約3時間を要した。交通手段はかなり制限されていた。

当初は市立輪島病院を拠点に避難所の巡回診療に当たった。道路はあちらこちらで陥没や損傷が確認され、崖崩れでたどり着けなかった避難所もあった。齋藤医師の印象で海に面した街中では、半数近くの家屋がつぶれている印象で「本当に悲惨な状況だった」。医薬品の不足が深刻で薬局では、購入までに数時間を要するほど長蛇の列ができていた。大規模な火災が発生した朝市通りがある地域の状況は深刻で「戦地ではないかと思うほどの光景だった」と振り返る。

8日から医療支援の拠点が輪島中学校に移った。同校の避難所では当初、支援物資が届かず、避難所に集まった住民たちが正月に向けて買いためた食料品などを持ち寄ってしのいでいたというが、8日には食料品や飲料水は十分に確保されていた。ただ、断水状態が続き、生活用水は確保できず、トイレなどは深刻な状況だった。

齋藤医師らがまず行ったのは、衛生環境の確保と避難所のリーダーや関係機関の責任者同士の情報共有の徹底だった。発災直後、多くの人が土足のまま避難所に入ったため、床には泥や土が残っていた。胃腸炎や下痢、嘔吐(おうと)の症状が見られ、体調を崩した人が多くいた。「感染症対策が急務だった」と振り返る。まずは徹底して掃除した。課題や対応策の情報共有を図り、避難者への周知のため、1日2回、関係者が集まる話し合いの時間を設けた。

避難者の置かれた状況はさまざまで、安否不明の家族を案ずる人や今後の生活に不安を感じる人もいた。診察では「できるだけ不安を与えないよう、説明をより一層分かりやすく丁寧に行うように心掛けた」という。

輪島市では総合病院は機能しているものの地域の診療所は地震の被害を受けており、現場を後任に引き継いだ11日現在、通常診療は行えず、簡単な診療のみだった。齋藤医師は「まだまだ息の長い支援が必要。本当に頑張っている被災地の皆さんにこれ以上頑張ってとは言えない。何とか休んでほしい」と願っていた。

諏訪中央病院は12日、AMDAの要請で第2陣として医師2人、看護師1人を輪島市に派遣した。支援物資は医薬品や除菌シート、抗原検査キットなどが中心だった。手指消毒液のボトルにアニメ映画のキャラクターなどを描いた女性職員は「少しでも被災者の皆さんの心が和めば」と話していた。

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