学園都市づくり推進 諏訪東理大18年公立化へ

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2018年4月の公立大学法人化に向けて動き出した諏訪東京理科大学=茅野市豊平

2018年4月の公立大学法人化に向けて動き出した諏訪東京理科大学=茅野市豊平

学校法人東京理科大(東京)が昨年9月、諏訪東京理科大(茅野市)の公立大学法人化の検討を要望してから1年が経過した。その後発足した、諏訪6市町村と県、東京理科大で構成する諏訪東京理科大学公立化等検討協議会は、6市町村の一部事務組合が設立する公立大学法人に運営を移管する公立化の方針を決め、大学の名称を「公立諏訪東京理科大学」とした。2018年4月開学を目指す。同大の変遷をたどり、公立化の展望を探った。

東京理科大の進出構想は1984年、市民と理科大関係者の交流から浮上した。原田文也市長(当時)の特命を受け、企画課長として大学や県との調整役を担った矢島雅幸さん(82)は「当時の茅野市は産声を上げたばかり。働くところ、学ぶところ、憩うところを諏訪、岡谷に頼っていた。原田市長は、できるものは自前で整えたいと思っていた」と述懐する。

茅野市は理科大の意向に「飛びついた」。地元の下古田区も翌85年に誘致を決める。市は用地を確保し、5市町村や経済界、県と誘致組織を作り、本部がある東京・神楽坂に通う。矢島さんは「吉村知事をはじめ県が本気になって動いてくれた」と振り返る。

90年、東京理科大諏訪短大は誕生した。矢島さんは「理科大の知名度で県内外から学生が集まり、精密工業との連携も強化されて活性化するだろうと、当時は大学も地元も信じていた。今の公立化の話には正直驚いている」と首をかしげた。

大学誘致が実現した12年後の02年、東京理科大諏訪短大は四年制に改組し、今の諏訪東京理科大が開学する。95年に茅野市長に就任した矢崎和広前市長(69)は「短大の2年間だけでは学園都市にならない。人材輩出の層の厚さにも限りがあった」と明かす。四年制化を市政の最重要課題の一つに掲げ、就任当初に訪れた大学で橘高重義理事長(当時)に申し入れ、了承を取り付けた。

矢崎前市長によると、四年制化の過程でも「県が非常に協力的だった」という。「県の高等教育機関への地元滞留率は当時からとても低く大半が県外に流出していた。その問題意識が当時の県政には強くあった」と振り返る。

市長退任後に県教育委員長を務めた矢崎前市長。諏訪東京理科大の現状を「国公立志向、地元志向に変化し、地方の私立大学の環境が厳しくなった。四年制にしながら苦戦したのは、そうしたトレンドがあると思う」と指摘した。
公立化へ

東京理科大が公立化の検討を要請した背景には、諏訪東京理科大で長引いた入学者の定員割れがあった。同大は「地域に貢献する大学として存続し、発展していく」には公立化が最善だと判断した。

公立大には国の手厚い財政支援がある。経営環境が改善し、授業料を「半額程度」に抑えることも可能だ。志願者が増えて偏差値が上昇し、教員確保や設備投資の資金も調達できる。同大の今春の工学部入学者は前年度比31人増の202人で12年ぶりに定員200人を上回った。「公立化」の反響は出始めている。

公立大の設置・運営は、6市町村の一部事務組合が設立する公立大学法人が担う。東京理科大と県は法人運営に協力する意向を表明。 東京理科大は公立大と協定を結び、引き続き教員の派遣や企業との連携を進める構えだ。 県も茅野市の大学準備室に職員2人を派遣して支援を続ける。

中南信地方唯一となる工学部の単科大を最大の特色に掲げるが、具体的な準備はこれからだ。大学経営を担う法人の「理事長予定者」と、教育や研究の質向上を図る「学長予定者」は未定で、人選を担う茅野市の柳平千代一市長は「順調に進んでいる」と語る。理事長予定者は、民間の経営者を軸に調整が進んでいるもようだ。

名実ともに諏訪地域の大学となる諏訪東京理科大。長野県の高等教育の中にどう位置付け、地域全体の産業振興に向けて産学連携の仕組み作りをいかに進めるか。大学を核とした学園都市づくりに対する6市町村の“本気度“が問われている。

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