守り続ける御柱祭 廃村の椚平「山神社」

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廃村の椚平の山神社。前回建てた一之御柱が見える

廃村の椚平の山神社。前回建てた一之御柱が見える

1973(昭和48)年に廃村となった諏訪市湖南の椚平で、廃村後も続けられてきた「山神社」の御柱祭が引き続き行われる見通しとなった。今年は準備不足から断念したが、伝統の御柱祭は終わらせたくない―と来年実施。普段は静かな山あいに再び威勢の良い掛け声が響くことになる。

計画しているのは、同市湖南南真志野の矢ケ崎岩男さん(69)。箕輪町の中学校に越境入学、卒業するまで椚平で育った。「祭りを行わなければ生まれ育った土地の社がかわいそうだ」と話し、「小さな御柱でもいいから曳き建てたい」とする。併せて傷みが目立つ社殿の修復も計画している。

椚平は諏訪と伊那を結ぶ山道があったことから江戸時代に諏訪側の麓に当たる南真志野の住民が開拓したとされる。一時期は十数戸あったといい、住民は炭焼きなどの林業に携わり、養蚕や田畑で生計を立てた。だが戦後戸数が減少。区の維持が難しくなった。

この状況に当時の市長が集団移転を積極的に助言。区有林や私有林を市に売却し、その資金を基に最後の全8戸が箕輪町や岡谷市、諏訪市などに移り住んだ。

矢ケ崎さん宅も8戸のうちの1戸。矢ケ崎さんの父、弘司さん(故人)は移転後も、売却林を管理する仕事を市から委託された。夏場を中心に椚平を訪れ、長年山づくりに務めた。こうしたことから廃村後も弘司さんとわずかな関係者でささやかに御柱祭は続けてきたという。

矢ケ崎さんに世代交代してからも御柱祭は継続。前回2010年の御柱祭は地元の南真志野の若者や茅野市の仲間らが約60人が参加。長さ約4メートルの一之御柱をはじめ4本の御柱をにぎやかに建てた。「小規模でもいいから、これまで同様に御柱祭ができれば」と矢ケ崎さん。地域の人たちや仲間に協力してもらい祭りを続けたいとする。

周囲に御柱が建つ社殿も老朽化。屋根の一部が欠落している。中には彫刻が施された社も安置されており、矢ケ崎さんは来年の御柱祭に合わせて雨漏りする屋根の修復を計画。「貴重な社も守り続けたい」としている。

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