備えは今 豪雨災害10年[1]自然の猛威

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土石流に直面した小田井沢川近くで当時の様子を語る山岡さん

土石流に直面した小田井沢川近くで当時の様子を語る山岡さん

2006年7月19日未明。岡谷市消防団第七分団で班長をしていた山岡林太郎さん=当時(30)=は、部長からの連絡を受けて同市湊の小田井沢川上流に向かい、側溝からあふれる水を警戒、監視していた。近くの工場に注ぎ込む水の流れを変えようと、土のうを積む作業にも取り組んだ。現場には、消防団員3人と地元の男性1人がいた。

「バキバキ」。木々の裂ける音が雷鳴のように聞こえた。見上げると山から煙が立ち上った。「逃げろ!」。近くにいた消防団員と男性が叫んだ。次の瞬間、森林を突き破って黒い塊が押し寄せてきた。ものすごい勢いで迫ってくる。山岡さんは叫び声でわれに返り、山に向かって右手の土手を駆け上がり、間一髪で山に逃れた。

生還したのは山岡さんを含む2人だった。近くにいた消防団員の小坂陽司さん=当時(45)=と、花岡泰男さん=当時(58)=は、土石流に巻き込まれて亡くなった。

山岡さんは災害後、結婚し長女を授かった。「犠牲になったお二人があの時、声を掛けてくれたから、今がある」と思う。他方で、二人の最期を語ることへの抵抗感もあり、体験を伝えることを控えてきた。土石流の直撃を受け、花を咲かせる船魂社の枝垂桜は毎年見に行っても、濁流から懸命に逃げた現場に足を向けることはなかった。

10年の節目が転機になった。全国各地でゲリラ豪雨が常態化し、毎年のように土砂災害で人命が失われている。06年の7月豪雨災害を知らない人が地域にいる現実にも直面した。命を守るためにも「地元で起きた災害を知ってほしい」と願う。若い団員たちに語り継いでいかなければいけないとも感じている。

湊地区は今年、諏訪大社御柱祭で下社の春宮四之御柱を曳行し、山岡さんは元綱係の副責任者を任された。祭りを愛していた小坂さん。長持ちや踊りを続ける小坂さんの妻祐子さん(53)から「旦那の遺志を継いで手伝うから」と励まされ、こみ上げる感情を抑えることができなかった。

今も消防団に所属する山岡さん。「災害時は誰かが現場に行って状況を把握する必要がある。(また同じ状況に置かれても)消防団に要請があり、行ける状況であれば行く」と強調し、「今度は『土石流が起きるかもしれない』という意識で行きたい」と力を込めた。

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