2016年11月29日付

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ある文筆家は、「文章は行間にこそ書き手の思いや人となりが表われる」と語る。であれば新聞は行間を作らないのが理想かも、と返すと、彼女は「それは無理。どんな文章も行間が物語る」と言う。深くも浅くもそれなりに▼物書きは、例えば美しいものを「美しい」という言葉を使わず、いかに表現するかが腕の見せどころとされる。ところがこの頃は、「きれい」とか「悪い」といった直球の言葉でなければ読者の心に響かなくなった、と彼女は嘆く▼活字離れのせいであろうが、昨今のテレビの演出も遠因かと推論が巡った。番組中、話し言葉を字幕で補う手法のことだ。見る人の理解を助ける親切な配慮なのだが、これに慣れると、人の表情や声音といった言葉以外が語るものへの意識が向きにくくなる。「知らぬ間に感じ取る力が衰えているのかも」と見る▼こんなジレンマを抱える昨今のメディアと対照的なのが落語。江戸時代以来のブームだとか。その波に乗ったわけではないが、富士見町境小で児童が落語に挑戦している。これまで落語を聞いたこともなかった子どもが、手ぬぐい片手に「えー」と一席。よどみない話しぶりはなかなかのもの▼場の空気を瞬時に読んで人の心をつかみ、楽しませるには感性の磨きが要る。その人間技は一度の経験でも多くを学べるだろう。筆者も落語に機微を学んで、間の抜けた行を埋めたいところだ。

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