日露戦争の戦況刻々と 「南信評論」号外

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南信評論の号外を所有していた松澤さん

長野日報社(諏訪市)が発行する「長野日報」の前身「南信評論」の号外が、東京都東久留米市の民家で大量に見つかった。1904~05(明治37~38)年に発行された136枚で、記事は帝国通信社が配信。日露戦争の戦況を地方にも刻々と伝えている。同社は「当時の地方の人も戦争の状況に関心があったことがうかがえる」とし「丁寧に整理、保管され、これだけまとまっての資料は貴重だ」としている。

所有していたのは下諏訪町出身の元高校教諭、松澤亮さん(79)。岡谷市出身の父、松澤(旧姓増澤)勝さんの遺品の中にあった。勝さんは1906(明治39)年生まれ。日露戦争のあと誕生しており、勝さんが収集したかは不明(亮さん)という。

長野日報社などによると、南信評論は日露戦争が始まった6日後の1904年2月14日付紙面で社告を掲載。「東京、長野、松本の諸新聞より1日もしくは一昼夜早く状況を知ることができる」と号外の速報性をアピール。諏訪、伊那地方に戦争の概要を速報するためほとんど毎日、帝国通信社から暗号の電文を受け取り号外を発行したとされる。

見つかった号外は横24センチ、縦16センチほどで、1904年5月4日付から1905年6月18日付まで。ボール紙1枚ずつにそれぞれ固定され、きちんとファイル化されていた。

号外は文字の大きさがまちまちのほか、活字が抜けていたり、誤字もある。大半は発行日や着信時間が載っているが、「只今旅順陥落」との文字が中央にある号外には、発行日や着信時間がない。別の1905年1月2日付の号外には「旅順カンラク」とあることから、発行日のないこの号外も同日発行とみられるという。このほか1日に複数回発行していた日もある。

松澤さんは25日、長野日報社を訪れ、当時諏訪地方で発行していた別会社の同時代の号外53枚と合わせて189枚を寄贈した。父親の遺品整理をしていて「親父の気持ちを大切にしたい」との思いから贈ることを思い立ったという。「歴史の研究にしてもらえれば」と話した。

日露戦争は当時の大日本帝国とロシア帝国の間で発生。朝鮮半島とロシアの支配下にあった満州が主戦場となった。米国が仲介して終戦交渉に至りポーツマス条約で講和した。

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