2017年05月27日付

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お葬式は、日々を漫然と送る自分自身を省みて、見詰め直す場にもなっている。遺影の中からほほ笑み掛け、これからは空の上で見守ってくれるであろう故人に恥ずかしくない生き方をしなければ―と▼仏式であれば、僧侶の声を合わせた読経が胸の中に染み渡る。僧侶の一つ一つの所作のきれいさには、心が洗われるかのようだ▼故人と特に近しかった人の悲しみは計り知れなくて、その人たちの心中を察しながら切なさをこらえて故人の冥福を祈るとき、もし魂が存在しているのであれば、肉体や現世というある種の呪縛から解き放たれ、精神世界へと旅立つ門出なのだと自分に言い聞かせている。そんな日常と非日常のはざまのような空間の中で、ひしひしと身が引き締まる思いが湧き起こるのである▼何年も時には数十年も会っていなかった親戚が顔をそろえ、「おじさん年取ったけれど元気だなあ」「あの子がこんなに大きくなったんだ」と、お互いの無事を確かめ合うことができる機会でもある。その土地ならではの風習や言葉に驚くこともあり、精進落としを「棚上げ」という地域があると先日参列した葬儀で知った▼米ニューオーリンズでは、故人の遺族や友人がブラスバンドのジャズ演奏と共ににぎやかに行進するそうだ。自分の葬儀はどんなだろうと考えると、ニューオーリンズの人々のように新たな旅立ちを明るく見送ってほしいと思う。

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