2018年4月15日付

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武田晴信(信玄)の感状が今年、千曲市の県立歴史館に所蔵された。2回目の川中島合戦で、須坂市近辺の地侍・蘆川氏が上杉勢から首一つを取ったことをたたえて信玄が贈った文書。実際に書いたのは武田家の右筆だというが、今も鮮やかな筆跡が生々しく歴史を伝えてくれる▼首一つで表彰されたと聞いて、よほど名のある武将を倒したのかと思ったが、誰の首なのかまでは分からないという。しかし、有名な武将の首なら記録に残りそうなものだ▼であるならば、相手がたとえ雑兵であっても、首を取るということは、わざわざ称賛されるほどに大変なことなのだろう。間抜けな感想をそのまま口にしたら、笹本正治館長に「それはそうですよ」とあきれられてしまった▼戦いは1555年7月、両雄が犀川を挟んで善光寺平で対峙した。武田勢は県庁西方にそびえる旭山の山城の味方に3000人の援軍と鉄砲300丁を送り込んだとも伝わる。上杉側から仕掛けるものの100日余にわたって決着がつかず、今川義元の仲介で講話した▼という教科書のような通り一遍の記述では伝わらない歴史の手触りを古文書から感じていると、「(テレビドラマなどで格好良く描かれるのとは違って)本当の合戦はとても血なまぐさく、ほめられたものではない」と笹本館長。急にリアルな「首一つ」が想像されて、首筋に冷たい物を当てられたような気がした。

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