日本列島あるき旅の振り返る 石川文洋さん

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あるき旅の前半を振り返る石川さん

80歳の傘寿を迎え、「平和を願う 日本列島縦断3500キロのあるき旅」に挑戦している諏訪市尾玉町の報道写真家・石川文洋さん。昨年7月9日に日本最北端・北海道宗谷岬を出発し、「徒歩の旅は感動の宝庫。改めて生きていることを実感」しながら、11月25日に東京の日本橋に到着した。旅の前半を終え、今月7日には同地点から東海道五十三次を京都に向かい、生まれ故郷の那覇市を目指す。年末年始に自宅で過ごす石川さんを訪ねた。

石川さんは4年にわたり、民間カメラマンとしては世界で初めて、南と北のベトナム戦争の最前線を撮影。日本では唯一地上戦が行われた沖縄にもたびたび行き、沖縄が抱える今日の課題を自分の目で捉え、広く発信している。

列島縦断は65歳のとき、日本海沿いをひたすら歩き通した。今回はその後発症した心筋梗塞を気遣いながら、1日15キロ余りのペースで太平洋側を歩いている。心に触れた風景や現地の人々との出会いを楽しみ、児童が書いた習字が残っている廃校利用の宿舎にも宿泊。東北では東日本大震災のその後を精力的に取材してきた。

「出発して4キロほどスリムになった」という石川さんは、いつもと変わらぬ柔和な表情に充実感を漂わせ、これまで歩いた道程を振り返った。

旅立ちの前夜は宗谷岬で初回と同じ宿を取り、おかみらと再会を果たした。15年前、苫前で昆布を干す場面を撮影したのがきっかけで交流が続く能登輝夫さん清子さん夫妻が美深まで来て探してくれた。「まさか遠く離れた美深で会えるとは。涙が出そうになった」。

東日本大震災の被災地は震災翌年に訪れ、被害と後遺症の深さを目の当たりにした。6年を経た景色は、海岸線に高く長い防潮堤が続き、威圧された。あちこちに復興が進む光景も多々あったが、福島県浪江町中心街も一歩裏に入れば当時のまま、震災当日が卒業式だった富岡町富岡第2中学校体育館はいすが散乱していた。未だ帰還困難区域となっている双葉町には、防護服を着て家の整理に帰る地元民に同行した。

石川さんは「沖縄で生まれ、ベトナム戦争を長く撮影した体験から『平和とは普通の生活ができること』と思っている」といい、被災者と重ね合わせ更なる復興を願った。

後半スタートを間近に控え、浮世絵師安藤広重や俳人松尾芭蕉の五十三次に関わる資料を収集。石川さんはその昔に思いをはせながら、自身の視点で街道を行く。

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