防災意識向上を願う 福島県から諏訪へ移住

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前を向いて第二の人生を歩む芳賀一成さん、草野弘行さん、勝倉大貴さん、鈴木大河さん(左から)

2011年3月11日に発生し、多くの命が奪われた東日本大震災から8年。諏訪市中洲の会社員芳賀一成(はが・かずあき)さん(41)は震災を機に、生まれ育った福島県いわき市を離れ、諏訪地方に移り住んだ。東北弁で「いわきに帰ることは考えていない。前を向いて頑張っていきたい」と笑顔を見せる一方、「いつ何が起こるか分からない。もう少し真剣に考えてもらえたら」と諏訪地方の防災意識の向上を切に願う。

兼業農家の長男で小学校から大学、就職とずっといわき市。いくつかの職を経験し、金型やコネクター部品を製造する東北テクトロン(当時いわき市)に就職。金型修理の技師になった。「震災がなければ、いわきから出なかった」と言い切る。

地震発生時は「何が起こっているか分からず、夢かな」。奥さんと当時2歳の息子といわき市の自宅で急な揺れを感じ、息子に覆いかぶさり揺れが収まるのを待った。親戚は皆無事だったが、福島第一原子力発電所の事故の放射線から逃げ、家族や両親らと親戚のいる東京や宇都宮市に身を寄せた。

突然日常が奪われ、精神的ストレスを感じる日々だった。同社も放射線から逃れ、茅野市金沢に工場を新設。11年7月ごろから芳賀さんも同市で新工場の開設に奮闘した。いわき市の工場の閉鎖が決定し、家族と共に諏訪市に拠点を移した。

当初は「なぜこんな目に遭うんだ」と思ったが、8年が経ち「あの頃の大変さを忘れてしまっている」という。「天災に人間は無力。どうあがいてもあの震災に勝てなかった」と振り返り、「こっち(諏訪)で出会えた人もいる。今はもう第二の人生」と割り切る。一方、息子は甲状腺がんの検査を2年に1度受け続けなければならず、放射線の怖さは消えない。

芳賀さんは震災の体験者として避難訓練の重要性も訴える。学校では「抜き打ちで月1回ほど訓練をした方がいい」とし、ガソリン不足に苦労した経験からは「目盛りが半分になったらガソリンを入れる」と話す。

東北テクトロンには現在、福島県から移住した社員が15人ほどいるという。同僚の草野弘行さん(44)、鈴木大河さん(30)、勝倉大貴(ひろき)さん(27)もいわき市から諏訪市や茅野市に移り、支え合ってきた。移住後に出会った人と結婚するなど新たな人間関係を築いている。「いつかは帰れたら」など、それぞれの思いを胸に、「ここが第二の故郷」と笑顔を交わしていた。

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