矢崎和広氏が死去 前茅野市長

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茅野市長を3期12年務め、県教育委員長などを歴任した諏訪貨物自動車会長の矢崎和広(やざき・かずひろ)さんが5日午前10時12分、病気療養のために入院していた諏訪中央病院で死去した。72歳。茅野市生まれ。自宅は同市仲町14の35。葬儀・告別式は矢崎家と諏訪貨物自動車の合同葬で、11日午後2時から茅野市横内のセレモニーハートアイプラザで行う。弔問受け付けは同日正午から。喪主は長男高広(たかひろ)氏。柳平千代一市長が葬儀委員長を務める。

諏訪清陵高校を経て早稲田大学政経学部を卒業。1970年、ソニー商事(現ソニーマーケティング)に入社し、8年間在籍。主に営業本部に勤務し、商品開発や販売促進などを担当した後、77年に茅野市に戻り、諏訪貨物自動車の経営に参画した。

青年会議所時代は諏訪6市町村合併による20万都市の実現を目指す「諏訪はひとつ」運動に取り組み、95年、二度目の挑戦で茅野市長に初当選。地方分権に呼応し、市民・民間主導、行政支援による「パートナーシップのまちづくり」を全国に先駆けて取り入れ、市民と行政が対等な立場でまちづくりを進める「地域主権」の礎を築いた。

福祉のまちづくりでは国が提唱する「地域包括ケア」を先取りし、茅野市民館の建設や諏訪東京理科大学(現公立諏訪東京理科大学)の四年制化、JR茅野駅東口の整備や駅周辺の土地区画整理事業を推進した。諏訪6市町村の合併論議を提案し、現在に続く広域連携にも貢献した。

「3期12年」の公約に基づき2007年に市長を勇退。08年に県教育委員長に就任し、高校再編や中高一貫教育の導入を推進して12年に退任した。県市長会長や諏訪東京理科大学客員教授、財団法人諏訪自動車協会理事長、公益財団法人諏訪圏学校理科教育振興基金理事長、諏訪清陵高校同窓会長など要職を歴任した。

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