2020年12月29日付

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「たった一人暗夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらんとはっきり言いきれる人がいたら申し出てください」。諏訪湖のほとりの村で戦後の農地解放を指導した男が村人に発した言葉だ。農山漁村を訪ね歩き、伝承を記録した民俗学者、宮本常一が「忘れられた日本人」(1960年)に記した▼国が地主から土地を買収し耕作者に売り渡した農地解放。村の寄り合いは土地所有をめぐる自己主張の応酬となった。困り果てた男に老人がこう語る。「人間一人ひとりをとって見れば、正しい事ばかりはしておらん。お互いに譲り合うところがなくてはいけぬ」。その後、男が「暗夜に胸に手をおいて…」と切り出すと、たいていの問題は解決の糸口が見いだせたという▼未知のウイルスに翻弄された1年が終わる。増える感染者数におびえ、マスクの行列に並び、うわさ話に耳をそばだてた。医師や看護師、保育士やスーパーの店員、ごみ収集の作業員など、生活と命を守る人々にどう接したか。自分の胸に手を置いてみる▼他人の非を暴くことは容易だが、それだけでは人間関係の問題は解決しない。宮本は「何もかも知り抜いていて何も知らぬ顔をすることが、村の中のひずみを直すのに重要な意味を持っていた」と書いた▼永田町というムラにもこの習慣が色濃く残っているようだ。今年は「忘れたい日本人」があまりに多かった。自分を含めて。

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