縄文文化解明に大きな足跡 武藤雄六さん死去

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在野の研究者で、富士見町池袋の井戸尻考古館の初代館長を務めた武藤雄六さんが亡くなった。91歳だった。縄文時代に農耕が行われていたとする「縄文農耕論」の立証と、土器の制作年代を特定するための基準「井戸尻編年」の確立に尽力。八ケ岳山麓に広がる縄文文化の解明に大きな足跡を残した。18日、町内外から悼む声が聞かれた。

旧制諏訪農学校(現・富士見高校)を卒業後、住民有志でつくる井戸尻遺跡保存会に参加。諏訪市出身の考古学者・藤森栄一(1911~73年)の講演に感化され、町内にある数々の遺跡を中心になって発掘、調査した。師と仰いだ藤森とも石器や土器の解釈を巡って議論を戦わせ、その役割は「共同研究者でもあった」(小松隆史井戸尻考古館長)という。

農協に勤務する傍ら土器の復元に明け暮れ、生前には「埋蔵の遺跡が充実した井戸尻だからこそできた。家族を顧みず打ち込み、迷惑を掛けた」と話していた。独自に培った技術で、考古館に展示する土器の大半を復元。1965年に町職員となって考古館の開設を主導し、83年から90年まで館長を務めた。この間、町歴史民俗資料館の開館にも尽力した。

武藤さんの教えの下で考古学の道に進んだ三上徹也さん(65)=岡谷市天竜町=は「小学生の頃に出会い、考古学の基礎を教えてもらった。貝塚のない中部高地で土器編年は不可能だと思われていた中で、成し遂げたのは武藤さんの功績。大きな背中だっただけに残念でならない」と話した。

昨年春に武藤さんのインタビュー動画を撮影する予定だった井戸尻応援団。事務局のエンジェル千代子さん=同町池袋=は「武藤さんの語りを収め、功績や人となりを地域に広めたかった。できなかったことが心残り」と悔やんだ。

小松館長は「経験的な手法によって縄文人に近づく考古館の研究スタイルを作った人。職人堅気で近づき難い雰囲気もあったが、中心的な存在だっただけに喪失感がある。武藤さんの個性を受け継ぎ、発展させていきたい」と決意を新たにしていた。

■矢島俊樹・富士見町教育長の話  井戸尻の縄文文化が、日本を代表する縄文文化であることを確信的に位置付けてくれたのは間違いなく武藤雄六さん。町の大功労者。惜しい方をなくした。ただ、武藤さんのおかげで後進が育った。遺志を継ぎ、井戸尻ならではの研究視点をさらに発展させていきたい。

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