満州富士見開拓団引き揚げ70年 供養の集い

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子すがり地蔵や満州開拓殉難者供養塔に手を合わせ、命を落とした団員の冥福を祈る参加者

子すがり地蔵や満州開拓殉難者供養塔に手を合わせ、命を落とした団員の冥福を祈る参加者

戦前から戦中にかけて富士見町から旧満州(中国東北部)に渡った「富士見分村開拓団」の引き揚げから70年を記念した「満州富士見分村開拓団引き揚げ70周年供養の集い」が20日、同町南原山の南原山集落センターで開かれた。引き揚げ者や家族ら約40人が参加。大陸で命を落とした人々の冥福を祈り、開拓団がたどった苦難の歴史を振り返った。

旧富士見村は、満州に開拓移民を送り出す国策に沿い、1939(昭和14)年から木蘭県王家屯への入植を本格化。最多時で約900人規模となった。敗戦後、引き揚げ時の感染症や栄養失調などで団員を失い、最終的には約700人が生還したという。

集いは引き揚げ者でつくる「満州富士見分村開拓団 拓友会」が主催。参加者は帰国後、入植した南原山に建つ満州開拓殉難者供養塔と、子すがり地蔵前で慰霊祭を開き、命を落とした団員に手を合わせた。同集落センターには開拓団の旧満州での様子を撮影した写真資料を展示。水ギョーザを食べながら旧満州での暮らしに思いをはせた。

19歳で大陸に渡り、先に入植していた家族と暮らした斎川かめよさん(94)=同町御射山神戸=は「妹1人が病死し帰ることができなかった。引き揚げ途中の中国の収容所で兵隊が亡くなっていくのを見て戦争は恐ろしいものだと思った」と振り返る。引き揚げ途中、子どもの多くがチフスに感染し命を落とす中で生還した伊藤幸代さん(73)=同町富士見台=は「生きていられることはありがたい」と話した。

開拓団長の樋口隆次さんの三男、太さん(81)=同町とちの木出身、神奈川県茅ヶ崎市=は「開拓地では大量の大豆を収穫し日本に供出した。終戦から引き揚げまでの体験でその後のどんな苦労にも耐えられるようになった」という。拓友会会長の窪田作栄さん(79)=同町横吹出身、東京都多摩市=は「平和を守っていくためにも悲惨な体験を若い世代に語り継ぐことが私たちの役目だと思う」と話していた。

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