東南海地震、対策強化を 調査の飯田さん

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諏訪市役所駐車場に建立した「東南海地震 烈震の地」と刻まれた石碑の前で対策強化を訴える飯田悦司さん

諏訪市役所駐車場に建立した「東南海地震 烈震の地」と刻まれた石碑の前で対策強化を訴える飯田悦司さん

第二次大戦末期の1944(昭和19)年12月7日午後1時36分、突然大きな揺れが起こり、震源域の紀伊半島熊野灘から約300キロ離れた諏訪に大被害をもたらした「東南海地震」。諏訪市高島1の飯田悦司さん(91)=東南海地震体験者の会代表=は、長年にわたって災害状況を調査。その資料などを示し、「地盤が軟弱な諏訪はいつ大震災が発生しても不思議ではない。発生すればどのような複合災害になるのか」と、72年目の「その日」に当たり、地震に対する更なる防災意識の高揚と対策強化を訴えている。

地震はマグニチュード7・9、諏訪は震度6を観測した。飯田さんが19歳のとき。同市豊田小学校近くで午後のもみすり作業を始めようとした瞬間だった。目の前の田んぼが波打ち、隣家の屋根から鉄平石が音を立てて滑り落ち、腹ばいになった。「まるで大地が地球の底へ吸い込まれるような感覚に襲われた」という。

災害状況は戦時下の情報管制で一般には伝えられなかった。84年に発生した県西部地震で、40年前の「諏訪地震」が、東南海地震の一環であることを知った。飯田さん、故宮坂五郎さんらは、「記憶を通して真相を調べたい」と体験者の会を結成。4年掛けて350人の証言を収録し、東洋バルヴの軍需工場、民家など316軒が全半壊した様子を地図に落とした。被害は軟弱地盤地帯に集中していた。

一方、市や県、国土庁などの関係機関に地震防災対策強化地域指定の陳情を繰り返し、2002年諏訪地方が指定された。こうした調査結果や足跡は冊子や模造紙でまとめて公開。諏訪市役所駐車場には「東南海地震 烈震の地」と記した石碑を建立した。

飯田さんは「調査を始めたころは行政、観光、不動産業者らから『イメージダウン』と非難された」と苦笑い。「当時に比べ過密化、ライフラインは複雑化し、地震が起きればどのような複合災害になるか想像がつかない」とし、「そのためにも、それぞれの立場で防災対策をもう一歩進めてほしい」と呼び掛けている。

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