まちのかたち 合併から10年・7 「自立」の中川村

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2005年2月27日。駒ケ根、飯島、中川の3市町村で広域合併の賛否を問う住民投票が行われる。結果は中川が賛成、駒ケ根と飯島は反対が過半数を占め、これにより3市町村の合併協議会は廃止が決まった。中川村は「自立の道」を歩むことになる。

「合併論議の頃、国は地方への交付金、補助金を約4兆円減らし、約6500億円しか税源譲渡しない方針を打ち出していた。自主財源の少ない中川村は相当の危機感があり、将来のことを考えれば、合併の推進は必要だった」

村職員としての行政経験を積んだ後に就任した北島靖生元村長(77)は、そう振り返る。「将来に渡る安定した村づくりを実現するため、当時はとにかく必死だった」。

その後、村は自立の道を歩み始め、村政運営は現在の曽我逸郎村長(60)に代わる。

「村長就任当時は村の財政が将来的に破たんするとも言われていた。行政運営の無駄を省くことを一番に考えた。財政の健全化に必要なのは将来を見据え、計画の段階でしっかり考えることと思う」

曽我村長は就任後、自らを含めて常勤特別職の給与削減を行い、事業では補助率の高い国や県の制度を導入するなどの工夫をした。一方で基金は積み立てを増やした。

村の一般財源規模に対する公債費(借金)の割合を示す実質公債費率は、合併論議の頃の2005年度には17・7%だったが、14年度は4・6%に改善。半面、基金残高は05年度の約10億6000万円から14年度には約18億7000万円に増えて、一般会計予算の3分の1に相当する額に達し、財政は健全化の傾向を示した。

村は「自立の道が決まった時点で、すでに文化センターや学校などの社会資本整備ができていたことが幸いした。その後、無理な借り入れをしない予算編成を心掛けた」と地道な努力を強調し、一方で「上伊那ではいち早く高校卒業までの医療費助成を実施するなど、必要な部分には予算を投入した」ともいう。

曽我村長は「合併論議の時点では、各住民が村を思うさまざまな判断をした。自立の道を歩む今、住民はそれぞれの立場で村づくりに励んでおり、合併を総括する時期ではない」としながら、「自治体は規模が小さければ利害が明確になり、行き届いた行政運営ができる」とも述べた。

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