飯島町の関係者ら わら細向けの稲、譲渡受ける

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伝統的なわら細工を継承し大相撲の土俵作りにも関わる飯島町の合同会社「南信州米俵保存会」代表社員の酒井裕司さん(43)や町の地域おこし協力隊員ら4人が16日、昨年まで土俵の俵作りを行っていた埼玉県吉川市を訪問。関係者と話しをする中で、飯島町に祖先のルーツがある飯島輝男さん(87)=吉川市中井=と偶然出会い、わら細工に適した稲の種もみを飯島さんから分けてもらった。酒井さんは「土俵でつながった縁。飯島町でも栽培してわら細工に使いたい」と新たな意欲を燃やしている。

南信州米俵保存会は、吉川市で土俵の俵作りを57年間担ってきた宮崎吉之助さん、信雄さん親子の仕事を昨年引き継いだ。酒井さんたちは、先輩格の吉川市の取り組みを学ぼうと今回、訪れた。

保存会の課題として良質な稲わらの確保が挙がる中で、たまたま飯島さんを紹介されて対面した。飯島さんによると、400年以上前に約100人の飯島氏一族が飯島町から吉川市や近隣の越谷市、松伏町に移った。一族の子孫が開拓した地域には「飯島」の名前が今も残るという。

栽培が衰退した市の在来種「保村早稲(ほむらわせ)」を継承して生産する飯島さん。茨城県の農業試験場に残っていた種を少しずつ増やして育て、その貴重な種もみを酒井さんに託した。

飯島さんは「長野から埼玉に来た分家が本家に里帰りするような感じ。目には見えないけれど先祖が引き合わせてくれたんだと思う」と感慨深げ。酒井さんは「飯島つながりの稲わらになる。栽培してくれる農家を探したい。これを契機に飯島町と吉川市の交流も広がれば」と期待した。

飯島町教育委員会によると、戦国時代の織田勢の信州侵攻により、町周辺を治めた飯島氏一族は離散。特に関東地方に町由来の飯島姓が多いという。

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