戦後76年の証言 中川村で風船爆弾部品作り

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旧南向村で風船爆弾の部品作りが行われていたことを伝えるパネル展

戦時中に旧南向村(現中川村)で、日本軍の特殊兵器だった風船爆弾の部品作りが行われていた―。公文書に記載されていなかった事実が戦後76年目にして、中川村歴史民俗資料館の聞き取り調査などで明らかになった。同館は調査結果などを伝えるパネル展を中川文化センターで26日まで開催。「上伊那地方で部品作りが行われていたのは、南向村のみだったかもしれない。展示をきっかけに再度、平和について考えてもらえれば」と来場を呼び掛ける。

■民俗資料館が聞き取り調査

風船爆弾は、日本軍が開発した特殊兵器。直径約10メートルの紙製の気球に爆弾や焼夷(しょうい)弾をつるし、米国本土を狙い、偏西風に乗せて飛ばしたとされる。同館の調査で、気球に用いる和紙作りが旧南向村で行われていたことが判明。当時あった組合製糸伊南社と日之出社の2事業所が携わっていたという。

調査結果からは、伊南社の和紙製造に関する経過がうかがい知れる。伊南社に対し、戦争の影響で稼働していなかった製糸工場を軍需工場に転換させるよう打診があったのが、1944年10月25日。その4日後には、飯田の伊那工業とともに風船爆弾用和紙の製造を行うことを決定。11月10日ごろに製造を開始した。4カ月後の45年2月に陸軍の作戦終了に伴い、同社の作業も終了したとされる。

■謎だった記号の意味解明

軍事機密だったためか、風船爆弾について記載された公文書は村内にない。唯一残っていたのが、伊南社の当時の理事の日記。しかし、文中に風船爆弾の文字はなく、「フ【◯にフ】」との記号にして伏せられていた。長年、謎に包まれていた記号の意味が解明されたのは今年の春。同館学芸員の米山妙子さんが、太平洋戦争とは別件で、村内在住の90代女性に聞き取りしていたところ、「伊南社で風船爆弾作りの作業に関わった」と不意に打ち明けられた。証言と日記との内容を照らし合わせたところ一致し、記号が風船爆弾を示すと裏付けられた。同様に、この日記に記されていた日之出社での和紙作りについても、関係者への聞き取り調査で確認が取れたという。

■村教委、情報提供呼び掛け

米山さんは「戦後76年を経てもなお、まだまだ埋もれている事実があるはず。戦争の記憶を後世に伝えていくためにも、調査を続けていきたい」と強調。村内の軍需工場や風船爆弾、登戸研究所などに関する情報の提供を呼び掛けている。情報提供は村教育委員会(電話0265・88・1005)へ。

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